立って歩く、前へ進む

25歳、パパになる

自殺のニュースをみて思ったこと

どうも、じぇいです。

iPhoneユーザーならわかると思うんですけど、ホーム画面を左にスライドするとニュースでてくるじゃないですか?(そーゆー設定にしていれば)

 

 

 

昨日そのひとつに

「16歳男子高校生が転落死。自殺か」

てゆー見出しがあって。記事に自殺の理由は書かれてなかったけど

たぶんその子は何かほんとうにつらい思いをしていて、周りが手を差し伸べていたかどうかはわからないけども、もうこれ以上生きたくない。って思ったんだと思う。

 

実はぼく、自殺を考えたことがある。本気で。

小学6年のときにいじめられてた。クラスのみんなが無視するってゆー陰湿ないじめ。それで1週間だけだけど、不登校になったことがある。

いじめって本当に当事者にしかわからない痛みがあって、ぼくはいじめられてからそんなに他人を深く信用できないようになってしまった。今でも。当時の出来事によって、24歳になった今でも人に対する不信感がある。

それくらい強烈なイメージが頭に残ってる。

 

母親がそばにいてくれたから最終的にはだいじょうぶだったけど、もしあのとき母親が「学校でいじめられてない?」てきいてくれなかったら、今ここにいなかったかもしれない。

 

たまたまぼくの場合は母親だったけど、つらい思いをしている子に手を差し伸べるのは家族じゃなくても良いと思う。

地域のコミュニティが希薄になって隣家の交流もなくて、頼れる人が手の届くところにいないのはめずらしいことじゃない。これが今の日本だ。

だから、家族じゃなくても良い。

 

つらくなったときのためにどこかに逃げ道をつくるのはあり。それもひとつじゃなくていくつもつくっておいたほうが良い。

人生を道に例えることがあるけどその通りで、一本道だともし途中にすぐ横が崖の細い道があってもそこを通るしかないけど、他の道をつくっとけばわざわざそこ行かずに、遠回りだけど安全な道を選べる。人生はそうあるべきだと思う。

 

ぼくにとってこのブログはそんな逃げ道の1つになりかけていて、読んでくれる人とその道をつくっていきたいと本気で思っている。

 

 

いつも読んでくれて、本当にありがとうございます!

 

では。